1909年
0歳
8月11日 福島市大町に生まれる。
生家は呉服屋「喜多三(きたさん)」。
1914年
5歳
このころ父親が蓄音機を購入。レコードを聴く。
1916年
7歳
福島県師範附属小学校(現:福島大学附属小学校)入学。
1918年
9歳
小学3年から6年まで担任遠藤喜美治先生に唱歌とつづり方を習う。
1919年
10歳
卓上ピアノで作曲を始める。
1922年
13歳
福島商業学校入学。 この頃「喜多三」廃業。
妹尾楽譜により本格的な作曲・編曲を始める。
1926年
17歳
福島ハーモニカ・ソサエティーに入る。
1927年
18歳
ペンネームを「裕而」とつける。
1928年
19歳
福島商業学校卒業後、川俣銀行に勤務。
福島ハーモニカ・ソサエティーとともに、仙台中央放送局記念番組に出演。
1929年
20歳
舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、二等に入選。
1930年
21歳
6月 内山金子と結婚。
9月 「福商青春歌」作曲。同月、コロムビア専属作曲家として上京。
1931年
22歳
早大応援歌「紺碧の空」作曲。
第一回レコード「福島行進曲」 「福島小夜曲(ふくしまセレナーデ)」発売。
1935年
26歳
「船頭可愛や」初のヒット曲となる。
1936年
27歳
「大阪タイガースの歌」(通称:六甲おろし)作曲。
1937年
28歳
「露営の歌」作曲。放送劇「当世五人男」初のドラマ曲作曲。
この年、菊田一夫と出会う。
1938年
29歳
中支従軍。
1940年
31歳
「暁に祈る」作曲。
1942年
33歳
南方慰問団派遣員となる。
1945年
36歳
約1ケ月軍隊生活を送る。
10月 NHK連続ラジオドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田一夫とコンビを組む。
1947年
38歳
7月 NHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」放送開始。(25年12月まで放送)
主題歌「とんがり帽子」作曲。
1948年
39歳
全国高等学校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」作曲。
1949年
40歳
「長崎の鐘」作曲。
1952年
43歳
4月 NHK連続ラジオドラマ「君の名は」放送開始。(29年4月まで放送)
主題歌作曲。
1953年
44歳
NHK放送文化賞受賞。
1956年
47歳
「忘却の花びら」がNHK連続ラジオドラマの最後となり、この後は菊田一夫とともに舞台活動へと転進する。
1964年
55歳
東京五輪において行進曲「オリンピック・マーチ」作曲。
1969年
60歳
紫綬褒章受章。
1972年
63歳
札幌冬季五輪において「純白の大地」作曲。
1973年
64歳
朋友 菊田一夫氏逝去。芸術座公演「道頓堀」が名コンビの遺作となる。
「暁に祈る」歌碑が信夫山第1展望台に建立。
1979年
70歳
福島市名誉市民となる。
勲三等瑞宝章受賞。
レコード大賞特別賞受賞。
1980年
71歳
日劇にて作曲生活50周年記念ショー。
5月 自伝「鐘よ 鳴り響け」を主婦の友社より刊行。
7月 妻金子死去。
1986年
77歳
30年間音楽を担当したNHKラジオ「日曜名作座」を健康上の理由で降り、作曲生活から引退。
1987年
78歳
「日曜名作座」を3人で30年間続けた業績に対し、森繁久彌、加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞受賞。
1988年
79歳
9月 画集「風景の調べ」を自費出版。
11月 福島市古関裕而記念館開館。
1989年
80歳
8月18日死去。