古関裕而と野球

:古関裕而と野球

古関裕而氏とプロ野球応援歌

古関裕而氏は、プロ野球球団の応援歌を作曲し、プロ野球の振興に大きな貢献をしている。
プロ野球の中で「永遠のライバル」と言えばほとんどの国民が巨人と阪神を連想する。両者の応援歌を作曲した古関裕而氏は、それぞれのファンの心の拠り所を創造し、数々の伝統を築いてきたこのライバル同士の対戦を盛り上げ、プロ野球の発展にも大きく貢献している。

1.阪神タイガースの歌「六甲おろし」

1936年、「日本職業野球連盟」というプロ野球連盟が発足した年に作曲。
当時は「大阪タイガースの歌」として発表。1963年に「阪神タイガースの歌」に変更されているが、現在は「六甲おろし」の愛称で呼ばれている。
現存する球団の応援歌として最も歴史が古く、かつ作曲から82年を経た現在も阪神ファンにより広く歌い継がれている。
1985年、阪神タイガースが21年ぶりに優勝した際には、甲子園からの帰りの阪神電車が「六甲おろし」のカラオケ電車と化し、そのまま大阪・梅田が深夜までカラオケ広場と化した。
国民誰もが一度は耳にしたことのあるメロディーであり、野球のシンボル的な応援歌として阪神ファン以外にも野球を認知させる貴重なツールとなっている他、熱狂的な阪神ファンにとっては自身のアイデンティティを示す歌として支持されている。

2.巨人軍の歌「闘魂こめて」

1939年、古関氏は最初の巨人軍の歌「(通称)野球の王者」を作曲しているが、現在は1963年に巨人軍創設30年を記念して古関氏により作られた3代目の巨人軍の歌である「闘魂こめて」が球団歌として一般的に歌われている。
東京ドームでの巨人戦では、5回終了時などに流され、JR水道橋駅では、2006年より開業100周年を記念し、この曲が発車メロディーとして使用されている。
勇壮な歌詞と力強いメロディーから、「六甲おろし」に対抗する存在として、巨人ファンの士気を高める歌として歌い継がれている。

3.中日ドラゴンズの歌

1950年に作曲。最初に作られた2曲の応援歌のうちの1曲で、1973年に新しい応援歌「燃えよドラゴンズ!」が作られるまでは歌われていたものと推測される。現在は、「燃えよドラゴンズ!」が一般的に広まっている。

古関裕而氏と大学野球応援歌

六大学野球は、大正・昭和初期の日本の野球人気を牽引する存在であり、リーグ設立前の1903年に初めて開催された早慶戦は、1906年には応援の過熱により中止となる歴史を持つ伝統のカードで、現在においても一定の人気を誇る対戦である。
その永遠のライバル校同士の応援歌どちらも古関裕而氏が作曲し、それが早慶戦のみならず大学野球全体の盛り上がりを支えている。

1.早稲田大学応援歌「紺碧の空」

1931年当時、慶応大学応援歌「若き血」に押されていた早稲田大学が新しい応援歌を作ることとなり、古関裕而氏と同郷の歌手・伊藤久男の従兄弟が早稲田大学応援部に所属していたことが縁となり、作曲を同氏へ依頼されることとなった。
早稲田大学はこの新応援歌で臨んだ1931年春のリーグ戦で慶応大学に勝利した。当時は第7応援歌であったが、87年間歌い継がれた現在では第1応援歌となっている。
1976年、早稲田大学大隈庭園内に「紺碧の空」記念碑が建立されている。
古関氏最初ヒット曲で、この作品がきっかけとなりスポーツ音楽の作曲に精力的に取り組んだ。

2.慶応大学応援歌「我ぞ覇者」

1946年に作曲。慶応大学応援団は「打倒早稲田」を意識し、「紺碧の空」に対抗するため同応援歌の作曲者である古関裕而氏に応援歌の作曲を依頼した。古関氏は、「紺碧の空」を作曲しているため早稲田の了解を作曲の条件としたが、既にその時点で了解が取れていたため快く作曲に取りかかったとされる。
4番の歌詞に「好敵早稲田」があり、早慶戦を想定した応援歌となっている。

3.早慶讃歌 -花の早慶戦

古関裕而氏と早稲田・慶応の繋がりは深く、早慶戦の試合開始前に両校の学生が一緒に歌える歌「早慶讃歌 -花の早慶戦」も古関氏が作曲した。ライバル同士が共通で歌う応援歌は他に例がなく、両校の応援合戦は東京六大学野球の人気を根底から支えているもののひとつである。
※円乗院で行われた古関氏の葬儀において、早稲田と慶応の校旗が掲げられ見送られたことからも、古関氏が両校へいかに影響を与えていたかを物語っています。

4.その他
下記応援歌も、古関裕而氏の作曲による。
  • 明治大学応援歌「紫紺の旗の下に」
  • 日本大学応援歌「水の覇者日大」
  • 中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」
  • 名城大学応援歌「真澄の空に」
  • 東京農業大学カレッヂソング

古関裕而氏と高校野球

古関裕而氏が1948年に作曲した夏の全国高等学校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」は、その心躍る旋律により、現在まで70年間にわたり歌い継がれ、高校球児が青春を捧げる夏の甲子園の風物詩となっている。

1948年、新制高等学校が誕生し、「全国高等学校野球選手権」が開催されること をきっかけに、朝日新聞社が大会歌の作曲家を古関裕而氏に依頼した。
古関氏は甲子園球場へ行き、「無人のグランドのマウンドに立って周囲を見回しながら、ここにくり広げられる熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディが湧き、自然に形づくられてきた。やはり球場に立ってよかった」と自伝の中で述懐している。
夏の甲子園開催にあたり、4年連続で「栄冠は君に輝く」に合わせてダンスを行うCMが放映され話題を呼んでいることや、いわゆる「夏の甲子園」だけでなく地方大会や夏以外の大会でもしばしば流されていることなどから、この歌の持つ明るさや爽やかさは、高校球児の持つひたむきに勝利を目指す純粋さと重なり、今では高校野球を象徴する希望と勇気を与える曲として、高校野球人気を支える大きな役割を果たしている。
※「栄冠は君に輝く」は、JR福島駅の新幹線発車メロディーにも採用されている。

その他の野球応援歌等

古関裕而氏の作品は、プロ野球・大学野球・高校野球の応援歌の他、下記のとおり、野球のジャンルを幅広くカバーしている。

1.都市対抗野球行進歌

社会人野球の大会である「都市対抗野球大会」を盛り上げるため作曲。
※出場団体である日本生命、本田技研(Honda)などの社歌も作曲している。

2.日米野球行進曲

コロムビア専属作曲家として上京した翌年(昭和6年)、アメリカを招き初めて行われた日米対抗野球を記念し作曲。

その他

古関裕而氏は、野球だけでなくあらゆるスポーツ音楽を作曲しており、国民栄誉賞を受賞した作曲家の服部良一氏は、古関氏の一連のスポーツ関連作品を評価し、「行進曲やスポーツ音楽は古関さんにかなわない」と絶賛したと伝えられている。
また、古関氏は全国の学校の校歌・応援歌も手掛けており、その中には甲子園常連校といわれる高校が含まれている。

1.スポーツ・ショー行進曲

NHKで放送されるスポーツ番組(プロ野球・高校野球等)のオープニングテーマ曲

2.オリンピック・マーチ

1964年に開催された東京オリンピックの入場行進曲。
1964東京オリンピック以来となる2020オリンピック・パラリンピック東京大会が開催され、3大会ぶりに「野球」が復活します。その試合は、復興五輪の理念のもと、古関氏の故郷福島市においても実施されます。

3.甲子園常連校の校歌等
  • 青森山田高校(青森県 甲子園出場13回)
  • 早稲田実業高校応援歌(東京都 甲子園出場45回、優勝2回)
  • 日本航空高校(山梨県 甲子園出場6回)
  • 彦根東高校(滋賀県 甲子園出場6回)
  • いなべ総合学園高校(三重県 甲子園出場3回)

本ページに関する問い合わせはこちら

福島市市民・文化スポーツ部文化スポーツ振興室文化振興課
TEL 024-525-3785

ページトップへ戻る